ばいおぐらいふ

出戻りジャニオタの、たわごと。

間違えまくりのジャニーズジュニア史

※間違えてる箇所が多々あると思います。予めご了承下さい。

歯を抜いて安静にしてなきゃいけないので、長文を書きます。

おじゃんぷを追い始めると、やはり彼らのジュニア時代が気になってきます。
ちょうどジャニーズ追うのをやめたのが2002年あたりと、まだYa-Ya-yahが5人だったころなので、エンジンに有岡くんとゆうとりんが出てたこととか、Hey! Say! 7が出たこととかわからないのです。
(というかおじゃんぷ追うまで、中島と言ってもせくしーぞーんにいるひと?だし、あり...おか?だれ...?な状態でした)


これらの復習も兼ねてこの頃のジュニアを見始めたので備忘録的にまとめてみようかと。
大体2000年、嵐がデビューするあたりから、じゃんぷがデビューした2008年あたりまで。



・~2000年 ~黄金期と嵐のデビュー~
ジャニーズJrの黄金期と言われる時期がある。
実際は怪談トリオや小原くんなどの「ジャニーズジュニア」という存在が世の中に広まった時期なのかとも思う。
そんな注目され始めた矢先に起きた事件が、かの有名な解雇事件。これが1999年の出来事だそう。
この事件で、ジュニア内のポジションが変わった、というか底上げされたのではないだろうか。
ジュニアのポジションを踊る位置で例えるのであれば、
印象として不動のセンター、タッキーがいて、ツートップとして翼くん、そしてちょっと違うポジションで小原くんがいる感じ。
その一つ後ろのポジションで相葉ちゃんやニノ、松潤、斗真くんがいたイメージ。
そして、愛LOVEジュニアから愛LOVE BIGに変わることによる、斗真くん、山Pを含んだ若手の追撃。
関西ではやはり現関ジャニ∞の3人、よこひなすばるの3強。

そんなポジションの中、嵐がデビュー。
その後小原くんは卒業し、レジェンドになりすぎた滝翼はジュニアに残ることになる。


・2000年~2002年 ~グループ乱立の始まりとツートップのデビュー~
このころ、ザ少年倶楽部が始まります。
司会は山P。そして斗真くんやハセジュン、かざぽん、ジミーMackeyがメインで踊り始める。
所謂、嵐デビュー時伸び盛りの若手が司会だった。
(のちに山P、斗真くん、ハセジュン、かざぽんの4人はジュニアの中でトップグループであろうグループ、4TOPSを結成する)
少年倶楽部が影響したのかはどうかわからないが、このころからジュニア内ユニットが増えた気がする。
(黄金期もたくさんあったが、メンバーが固定されているもの、ないものと幅広く出始めた気がする意味で)
デビュー組だとKAT-TUNやA.B.C、解散グループだとK.K.Kity、Ya-Ya-yahがこの時期に結成する。そう考えると2001年入所の藪さますげえ。

そして2002年、タッキー&翼がデビューする。
トップがデビューした後はグループの乱立もあり、トップというより今でいう「メディア選抜」のイメージに近くなった。
山P、斗真くんといった4TOPSや、仁亀率いるKAT-TUN、そしてこの頃その少し後ろにK.K.Kity(後にNEWSになる小山・加藤・草野、そして現キスマイの横尾さんがいた)がいた感じ。


・2003年 ~NEWS、関ジャニデビュー、やぶひか時代の始まり~
2003年、そうバレーボールユニットデビュー年にデビューしたのが山P有する、NEWS。
トップを走り続けた山P、関西の実質トップグループだったの亮ちゃんと内博貴、K.K.Kityとして地位を上げた小山、加藤、草野、金八出演で名前を売ったまっすー、そして隠し玉としての手越、森内。
彼らがデビューし、かつ別格となりつつあったKAT-TUNを除いたとき、トップに立ち始めたのが金八出演やCDデビューなど、スター街道を走っていた「やぶひか」だったのではないだろうか。Ya-Ya-yahのなかでも、やはり鮎川くんや翔央くんに比べて前に立っていたのでは。

そしてそのころ、関ジャニ∞もデビュー。関西Jrでトップにたっていた人々がごそっとデビューした。
しかし、ここから10年関西からのデビューがない。あまり関西Jrは詳しくないけれど、桐山中間のごくせん3期コンビが支えていたのだろうか。

・2004年~2006年 ~四つ巴戦国時代~
ここらへんは最近勉強し始めた時代、そうジャニーズから完全に離れていた時代。
「四つ巴」と書いた通り、ジュニアは4強グループ時代に入る。
CDデビュー、金八出演とスター街道を走り続けたユニット、変声期を迎えたYa-Ya-yah、藤ヶ谷父さんことガヤさんや高校生からジュニアに入った北山、そして様々なユニットに入るものの...な横尾さん率いるKis-My-Ft2、生田山下世代ユニットA.B.C、そしてメンバー変動が激しい中、不動の中心メンバーだった伊野尾ちゃん、後にスター街道を駆け上がることになる中島裕翔りん(とか有岡くんとか高木ゅぅゃとか)有するJ.J.Expressの4つである。
その四つ巴を見事に体現したのがKittyGYMの存在ではなかろうか。
北山、伊野尾、戸塚、八乙女と、今考えたら全員デビューしたバラバラなグループの4人が選ばれたユニットである。
この時のファンはどう思ったのだろうか、後述のHey!Say!7も含めて、メンバーが思うことは多かったようだが。

同時期に、成長前の中島裕翔りんがセンターになる曲も多くなる。
ジュニアでの曲も、先輩のバックにつくとき(というか前でも)もである。
後に山田くんがいう、「越せない背中」の時代なのであろう。

そしてこの頃の横尾さんの風貌がちゃらい。

・2007年 ~Hey!Say!7とHey! Say! JUMP
少年倶楽部でもKittyがメドレーの最後を飾るなど、四つ巴の時代は続いていたのではないだろうか。
しかしここに一石を投じたのがHey!Say!7のデビューであろう。
そう、Kittyとは全く違い、Ya-Ya-yah、キスマイ、A.B.Cからは全く選ばれないユニットがCDデビューをすることになったのだ。
それも、バレーボールユニットがデビューするであろう年に。
後に伊野尾ちゃんが「悔しい」とジャニーさんに話したというほどである。
キスマイやA.B.Cの10000字は読んでいないが、ファンも本人も衝撃が走ったのではないだろうか。

そして2007年9月、Hey!Say!7のメンバーを軸にし、Ya-Ya-yahで長きに渡って活躍したやぶひか、J.J.Expressで中心に立ち続けた伊野尾ちゃん(ギリギリの選出だったそうだが)、ちびっこJrとして弟と活動していた龍太郎、そして隠し玉枠、圭人を加えHey! Say! JUMPがバレーボールユニットとしてデビューする。


ここから先は正直わかりません...
けれど、最近のジュニアに思うことは、完成しきった感じがあること。
ジャンプの次が、既にユニットとしてあったキスマイやA.B.C-Z、極端に若手を入れたSexy Zoneだから、嫌でも下積みが長くなってしまったのか。



そんな完成されたジュニアがどういう組み合わせで、どういう色のバレーボールユニットを作るのか、今年の秋が少し楽しみである。