ばいおぐらいふ

出戻りジャニオタの、たわごと。

「言葉を発する」ということ

Twitterとか、このブログとか。インプットではなくアウトプットする側の人が増えてきました。
情報の信憑性の責任はどっちが持とうか?


ジャニオタになって、ブログをはじめ、オタク専用アカウントのTwitterをはじめた。
Twitterについては昔からやっていたけれど、リアルな友人とやる、鍵付きのアカウント。公開するアカウントは初めて。
レポとか、情報とかを享受していたインプット側から、何かを発するアウトプット側になっていった。

コンサートに行っても、ひたすら感想しか言わないし、テレビ番組もキャプチャ取るわけでもない、ゆるーいただの「つぶやき」のアカウント。
おかげさまで、読者もフォロワーも増えていって、お星さまをつけていただいたり、RTもたまにされています。
けれど、極まれに知らない人からRTされることもあって、そのたびにちょっと怖くなることがある。



あれ?私の発する情報は本当に正しいのか?



たまに勘違いされるが、私は去年秋にJUMP沼に落ちたド新規。
雑誌などの情報(1万字インタビューとか)はリアルタイムで得た知識ではなく、ネットを駆使して後から蓄えた知識。
だから手元にすぐに引っ張れる雑誌などの引用元はなく、メンバーの発言をツイートしたりブログに書くときは、すべて「~と言っていた気がする」レベルである。
だけれども、そんな注意書きなんてどこにも書いていないし、その1ツイートを切り取ってしまえば、「正しい言葉」に聞こえてしまう。
それがとても怖い。
できるだけ引用の裏は取ろうとしているけれど、すべてがすべて、すぐにとれるものではない。


けれど、ブログはまだしも、Twitterって結構「その時思ったこと」をつぶやくことが主であると思っている。
この考えが正しくなければもうごめんなさいなのですが、「その時思ったこと」を呟くのに引用元を探す時間はあるのかと思う。
答えはきっと否で、即時性には信憑性がついてこないと思う。


全くの嘘を、ツイートしているわけではないと思っている。これでも記憶力はいいほうと自負しているから。
けれど、それを100%本当と思ってほしくないとも思う。
「嘘を嘘と見抜ける人じゃないとインターネットを使うのは難しい」とはよく言ったと思っている。
情報は受ける人も選択するものであると、心の片隅に持っていてほしい。



何かを「発する」側にももちろん責任を持つべきだとは思う。
けれど嘘は言わない、けれど時には間違えるときがある。
自分もできるだけ何かをけなしたり、嫌悪感を抱かない、抱かせないような発言は控えるようにしているし、もしするときは言葉を一生懸命選んでいる。
(けれど嫌悪感を抱いていたらすみません)

でも、それら情報を「受け取る」側も、情報が本当に正しいか、ちゃんと吟味して、もしくは自分で裏をとってみるなどするべきとも思う。
何が嘘で、何が本当か。自分の目で見て、感じない限り、それはあくまで「推測」でしかありません。



ここまで書いて、自分も言葉に気を付けなきゃと思いました。
でもこの文章、結構勢いで書いています。
とにかく、会社のことを書かない*1、何かをけなさないなど、自分も気を付けないと。
特にこれから社会人になる方は、会社特定されるツイートは控えましょう。
(って私も特定されてたらこわいな)


ああ、アウトプットするって、大変だなあ。

*1:業務情報とか機密情報とかね