ばいおぐらいふ

出戻りジャニオタの、たわごと。

狩野アナの卒業に寄せて

ジャニオタブログだけど、今日くらいは狩野アナの話をさせてくれ。

モヤさまが好きだ。
2012年、就活中にきつくてつらくて悲しかった時、モヤさまをただぼーっと見ているだけでリラックスできた。
街の人たちとの楽しい交流ってだけでなんでこんなに楽しいのか。
特に大江アナはキレイでしっかりしているのに、運動神経がからっきしなくてとてもキュートで。
ああ、こんな女性になりたいなと思ったし、今でも思っている。

2012年の暮れだったか、大江アナが卒業することが発表されて、2013年の春、大江アナの新天地、アメリカの地で別れた。

その後任に現れたのが、狩野アナだった。
ちょうど、私が社会人になったそのタイミングで、当時入社4年目くらいの狩野アナがアシスタントになった。

狩野アナはポンコツだった。
どうしても前任の大江アナに重ねてしまうところがあるにしろ、それでもポンコツだったように思える。
気が使えなくて、空気が読めなくて、やることが雑で、よくさまぁ~ずさんを「ムムム」顔にさせた。
そのたびに笑顔でかわす狩野アナだったけれど、さまぁ~ずさんの言葉も大江アナの時よりきつくなっていて、辛いんじゃないかなと思っていた。

そんな狩野アナに、当時新入社員だった私を重ねていた。
私も気は使えない、空気もうまく読めない、雑すぎる。
何にもできない私を、勝手ながら狩野アナに重ねて、ポンコツ具合を笑いながらも、どこか「自分もこうなんじゃないか」と思って反省しつつ、応援していた。


そんな狩野アナが、3年半務めたアシスタントを卒業した。
モヤさまというあたたかい環境から抜け出し、新しいことをしたいという決意から、卒業を選んだそうだ。
そしてこのタイミングで結婚。まさに節目の時に、何もかも新しい世界に行くことを選んでいた。

3年半、ずっと見ていたけれど、正直最初から改善されたか、といわれると、視聴者からはよくわからない。
だけど、大江アナ時代とはまた違う、狩野アナの色を番組に付けて、それが皆に受け入れられたんじゃないかと感じた。
「変わらない」スタンスの番組で、唯一それが「変わった」ことなんじゃないかと思った。



最後の最後まで、ずっと狩野アナは泣いていた。
涙はずっと枯れることなく、ひとつひとつの「最後」に泣いていた。
泣けるけど、どこか笑える。そんな狩野アナの最後のロケだった。

11月から、今度は報道の番組を担当するらしい。
ずっとやりたかったと言っていた報道。みんながものすごい心配するであろう報道の仕事。


3年半。新人だった私も4年目になり、そこそこ担当システムが増えて、後輩の育成もし始めた。
狩野ちゃんはきっと、視聴者からは見えないところで、3年半前からずっと成長しているんだと思う。

わたしは、狩野ちゃんと一緒に成長しただろうか。
せめて、狩野ちゃんみたいに、たとえ何を言われても笑っていられればと思う。



10年目の新しいモヤさまも、狩野ちゃんのこれからも、楽しいものでありますように!